野菜ソムリエの「あいちの伝統野菜」

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順調に育ってますが・・・・

宮重ダイコン

今年の2月、愛知県清州市の「宮重大根純種子保存会」さんが採種されたものを農林水産部担当者の計らいによりいただき栽培を始めました。
江戸時代から続いている貴重な種子を播種し順調にそだっていますがスーパー台風が近づいているとかで心配です。
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←2月に頂いた種子

【宮重ダイコン】
栽培が始まったのは、一説には1000年以上前とも言われておりますが、江戸時代初期には春日村宮重で栽培されており、宝永年間(1704~1711)、あるいは享保(1716~1736)年間にその名が書物に登場しています。明治に入ると、宮重大根の産地が周辺にも広がるようになりました。 
明治18(1885)年には、中島・葉栗・海東・西春・丹羽の5郡によって「尾張物産大根切干同業組合」が結成され、宮重大根産地が初めて組合として組織されました。
昭和3年、春日村の宮重大根の品質の良さが認められ、昭和天皇の大嘗祭の際には、愛知県の代表産物として進上されることとなりました。このときの大根は現在の祢宜家で栽培されたものであり、その跡地には栽培跡を示す碑が立っています。
 このころ、産地は知多郡、碧海郡にまで拡がり、まさに宮重大根全盛期といえます。鉄道が発達したこの時期、更に産地は発展し、大根を載せた出荷用「大根専用列車」が京阪神方面へ走ったほどでした。

戦争の色が濃くなると、サツマイモなどの作付けが増加し、大根は減る一方でした。
戦争が終わって再び大根が作付けられるようになりましたが、食料不足のため、生食用である総太系の大きな大根栽培という大量生産が行われたため、戦前に確立された用途別の特色をもった系統の栽培は行われなくなってしまいました。
 また、量のみでなく品質の向上をはかるため、当時清洲町にあった農業試験場によって原々種が配布されたり、優良系統の選出のための品評会が開かれたりしました。しかし、長年の連作によって作柄が不安定になり、アブラムシによるウィルス病の発生もあり、これをきっかけに昭和30年ごろまで続いた春日町を含む五条川をはさんだ産地では、大根の作付けが急激に減少し、現在のようなニンジン、ホウレンソウ、ネギなどに転換していったのです。こうして一時は隆盛を極めたこの地域の宮重大根産地は、縮小からついには消失してしまったのです。
【出典:春日町】
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by somurie2008dentou | 2014-10-10 11:23 | ダイコン | Trackback | Comments(0)